違ったお見合いパーティー

おいおい、説得しなかったのかよ。もちろん真偽は別だが。
そういう話自体を、同じように出すべきじゃなかったのか?
お見合いパーティーではそんなふうに考えてしまった。
「と、思ったんだけどさ。どう思う?」
同じサークルのメンバーに、そんな事を聞いてみた。
訪問布教者を、膨大な宗教学の知識でやりこめているメンバーだ。
「当たり前ですよ。キリスト教じゃないんだから。」
その歴史オタクは事も無げに言った。
「ノストラダムスはいちおう、キリスト教徒ですからね。」
身内の恥は引き受けたけど、あとは知らんってことです。
そう付け加えてくれた。
うわあ、会社みたいな考え方だなあ。責任分界点ってか?
「宗教『法人』というじゃないか。」
はいはい、あんたに聞いたのが間違いだったよ。
これがまた有りそうな理屈なので、どうにもげんなりする。

とにかく予言というものは、ひとつとしてシンプルには
まとまっていないらしい。予言なのかすら怪しい。
でもその予言とやらのおかげで本が売れたり、映画ができたり。
一種の経済効果があったと言えるだろう。やれやれ。

経済効果といえば、2012年の滅亡で「ここだけは滅びない」という
某国の某山が観光客であふれ返り、屋台まで出たそうである。
「滅亡あめ」とか「滅亡まんじゅう」とか売ったのだろうか。

そういえばマヤ系・マヤ族ファッションというのがあったな。
オーバーオールにヒマワリのワッペンを貼り付けた若者たちが
渋谷のセンター街を闊歩していたのを見たことがある。
いつの間にか消えてしまったが
ひょっとして、このマヤ暦カレンダーの件も、いつの間にか・・